「かわいい髪型だね」「その服、似合ってるよ」——そう言われたとき、素直に「ありがとう」と返せているだろうか。
心のどこかで「いや、社交辞令でしょ」「お世辞に決まってる」とブレーキがかかる。褒めてくれた相手の好意を、受け取るどころかはじき返してしまう。そんな経験がある人は、実はかなり多い。
2026年5月現在、SNSでも「褒められても素直に受け取れない」「悪口だけは素直に心に刺さるのに」という声が繰り返し共感を呼んでいる。臨床心理士として18年、恋愛で苦しむ方の相談を受けてきた立場から言えば、これは性格の問題ではない。脳と心が作り出す「構造」の問題だ。
この記事では、褒め言葉を受け取れない心理メカニズムと、恋愛に与える影響、そして今日から始められる3つの練習法を整理していく。
なぜ褒め言葉を「嘘だ」と感じてしまうのか
構造として見ると、これは「認知的不協和」という心理現象で説明できる。自分に対して「自分はたいした人間じゃない」というイメージを持っている人が、「あなた素敵ですね」と言われると、自己イメージと外部評価のあいだにズレが生じる。脳はこのズレを不快に感じるため、褒め言葉のほうを「嘘だ」「お世辞だ」と処理して、不快感を解消しようとするのだ。
Swann(1983)の自己検証理論によれば、人は自分の自己概念と一致する情報を好み、不一致な情報には抵抗を示す。つまり「自分はモテない」と思っている人ほど、「かっこいいね」という言葉を拒絶しやすい。褒められるのが苦手なのではなく、自分の中の物語と合わないから拒否している——そういう仕組みになっている。
さらに興味深いのは、脳科学の知見だ。Horstman & de Bruijn(2018)のfMRI研究では、ポジティブなフィードバックを受けたとき、自己肯定感が高い人は報酬系(腹側線条体・内側前頭前野)が活発に反応する一方、自己肯定感が低い人ではこの反応が弱いことが確認されている。褒め言葉が「届いていない」のは気のせいではなく、神経レベルで起きている現象なのだ。
恋愛で起こる「褒めの空振り」問題
この構造が、恋愛では深刻な問題を引き起こす。
たとえばデート中、相手が「今日の雰囲気いいね」と伝えてくれたとする。自己肯定感が低いと「何か裏があるのかな」「次に頼みごとでもされるのかな」と警戒モードに入ってしまう。結果として表情がこわばり、会話がぎこちなくなる。相手は「せっかく褒めたのにリアクション薄いな」と感じ、距離を取り始める。
悪循環だ。
筆者のカウンセリングでも、この構造はよく現れる。以前、「モテない自分が恥ずかしい」と泣いて来談された30代の男性がいた。話を聞いていくと、職場で「仕事が丁寧ですね」と言われても「皮肉だと思った」と返す。合コンで「優しそう」と言われても「他に褒めるところがないからでしょ」と受け流す。褒め言葉をことごとく無効化してしまうことで、自分から関係構築のチャンスを閉ざしていた。
6ヶ月のカウンセリングを経て、この方は自己否定の構造から少しずつ抜け出していった。特別なテクニックを身につけたわけではない。「褒められたら、まず否定せずに3秒だけ受け止める」——これだけを繰り返した結果、自然な交際が始まり、1年後に結婚の報告をいただいた。モテないというのはラベルであって、人格ではない。ラベルを外したら、もともと持っていた魅力が相手に届くようになっただけだ。
「すみません」が口癖になっていませんか
褒められたとき、「すみません」と返していないだろうか。
心理学では、この反応を「褒めの回避行動」と呼ぶことがある。日本文化には謙遜の美徳があるため、「いえいえ、そんなことないです」と返すこと自体は自然な振る舞いだ。ただ問題は、謙遜が「本心からの自己否定」になっている場合。
「すみません」が口癖の人は、感謝の場面でも反射的に謝罪してしまう。ドアを開けてもらったら「すみません」。プレゼントをもらったら「すみません」。好意を受け取ることに罪悪感があるのだ。恋愛の場面で「あなたといると楽しい」と言われて「すみません、なんか気を遣わせちゃって」と返してしまうと、相手は気持ちの行き場を失ってしまう。
責めるべきは行動じゃない。その行動を生んでいる内側の構造に目を向けてほしい。幼少期に「調子に乗るな」「褒められて浮かれるな」と言われた経験がある人ほど、褒めを受け取ることに無意識のブレーキをかけやすい。これは育った環境が作った回路であって、あなた自身の欠陥ではない。
今日から始められる3つの練習法
では、どうすれば褒め言葉を受け取れるようになるのか。臨床の現場で実際に効果が出ている3つの方法を紹介する。
練習1: 「ありがとう」だけ返す——3秒ルール
褒められたら、否定も謙遜もせず「ありがとう」とだけ返す。それが難しければ、心の中で3秒だけ「そうかもしれない」と思ってみる。実際に声に出さなくてもいい。脳が「褒め=不快」と処理する回路を、少しずつ「褒め=中立」に書き換えていく作業だ。
Marigold, Holmes & Ross(2007)の研究では、褒め言葉の意味や重要性を自分の中で噛みしめる「リフレーミング」を行ったグループは、自己肯定感が低い人でも、2週間後まで肯定的な効果が持続したと報告されている。つまり「受け取り方」を変えるだけで、自己イメージは動く。
練習2: 「褒められログ」をつける
1日の終わりに、その日言われた褒め言葉やポジティブな言葉をひとつだけメモする。スマホのメモ帳でも、紙のノートでもいい。
筆者は毎晩、書道で「今日」を記録する習慣があるのだが、相談者の方には同じ要領で「今日受け取った言葉」を書いてもらうことがある。「今日の髪型いいね」と言われたなら、その言葉をそのまま書く。書くことで、脳の処理が「スルー」から「記録」に変わる。人は忘れる生き物だから、ポジティブな記憶ほど意識的に残す必要がある。
練習3: 褒めを「事実」として切り分ける
「優しいね」と言われたとき、それが事実かお世辞かを判定しようとしない。代わりに、「相手がそう感じた」という事実だけを受け取る。相手の感情は相手のものだ。あなたが「自分は優しくない」と思っていても、相手が優しさを感じたなら、それは相手の世界では事実。
この切り分けができると、「本当かな」という疑念ループから抜け出せる。恋愛でも「好き」と言われたとき、「本当に? なんで?」と問い詰めるのではなく、「この人は今、そう感じてくれているんだ」と受け止めるだけでいい。関係が驚くほど楽になる。
自己肯定感は「上げる」より「邪魔しない」
最後に伝えたいことがある。自己肯定感は無理に「上げよう」とするものではない。
朝の瞑想で自分と向き合う時間を持つようになってから、筆者自身も実感していることだが、自己肯定感が低い状態というのは、本来あるはずの感覚を自分でブロックしている状態に近い。だから「上げる」のではなく、「邪魔しているものを少しずつ外す」という感覚のほうが正確だ。
褒め言葉を受け取る練習は、その「外す」作業のひとつ。一気に変わる必要はない。今日、誰かに何か良いことを言われたら、否定する前に1秒だけ止まってみてほしい。その1秒が、恋愛だけでなく、人間関係全体を少しずつ変えていく起点になる。
FAQ
褒められると逆に不安になるのは異常ですか?
異常ではありません。自己イメージと褒め言葉のギャップが大きいと、脳が認知的不協和を起こして不安や居心地の悪さを感じます。多くの人が経験する自然な反応であり、練習によって和らげることができます。
謙遜と自己否定の違いはどこにありますか?
謙遜は「相手への配慮として控えめに振る舞う」こと。自己否定は「本心から自分に価値がないと信じている」状態です。褒められたあとに気分が落ち込む、罪悪感を覚えるなら、謙遜ではなく自己否定の可能性があります。
恋人から褒められても信じられません。関係に影響しますか?
影響する可能性はあります。褒め言葉を繰り返し拒否されると、相手は「気持ちが届いていない」と感じ、やがて伝えること自体をやめてしまいます。まずは「ありがとう」と返すだけでも、関係の安心感が変わってきます。
3つの練習法はどれくらいで効果が出ますか?
個人差はありますが、「ありがとうと返す」練習だけなら2〜3週間で変化を感じる方が多いです。研究でもリフレーミングの効果が2週間後まで持続したという報告があります(Marigold et al., 2007)。焦らず続けることが大切です。
自己肯定感が低い原因は親の育て方ですか?
一因にはなりえますが、それだけではありません。学校での経験、友人関係、社会的な比較環境など、複合的な要因が絡みます。原因探しよりも、今の自分の「受け取り方のクセ」に気づき、少しずつ修正していくほうが建設的です。
参考文献
- Swann, W. B., Jr. (1983). Self-verification: Bringing social reality into harmony with the self. — Journal of Experimental Social Psychology
- van der Aar, L. P. E. et al. (2018). When compliments do not hit but critiques do: an fMRI study into self-esteem and self-knowledge in processing social feedback — Social Cognitive and Affective Neuroscience
- Marigold, D. C., Holmes, J. G., & Ross, M. (2007). More than words: Reframing compliments from romantic partners fosters security in low self-esteem individuals — Journal of Personality and Social Psychology
- 科学的に正しい自己肯定感の高め方入門 — 一般社団法人ポジティブ心理カウンセラー協会
- 自己肯定感を追い求める人の不幸な結末 — GLOBIS学び放題×知見録


